復興への歩み、再生へ(再投稿)
2014年 01月 17日
死者6,434人、負傷者43,792人
当たり前だった日常を奪われた1995年1月17日
未曽有の「不条理」から16年の歳月が刻まれたこの日
阪神大震災の被災地は、残された者たちの鎮魂と追悼で満たされた。
友を失い、授かった子に自らの再生と未来への希望を託す人・・・。
人々は先立った者たちとの「つながり」を確かめつつ
これからも生き、失われた「生」と向き合い続けることを誓った事でしょう。
当時印象は、粉塵が舞う大渋滞の街、KOBE
オレは、復興に向けて歩みだした街へ戻った。
ライフラインは電気・ガス・水道の順で回復していき、毎日のように水をポリバケツ2つに入れてもらい
電熱器で湯を沸かし、体を洗った生活を思い出す。
仕事は当然ない。
神戸港が回復するまでは、大阪の南港にあるグループ会社へ派遣され、六畳一間で男4人の生活が
インテックス大阪内にある仮設住宅で始まった。
それも6か月の間、共同風呂にトイレに洗濯場、間仕切りされただけのスペースで何百人が生活する
わけだから、精神的にも辛かった。
その後は神戸に帰り、市の仕事として復興作業に携わることになった。
崩壊された街から運び出される瓦礫の選別作業。
免許を持っていた関係で、ダンプとユンボの操縦もさせてもらった。
そして、線路の復旧作業に船で運び出される救援物資の搬出作業もやった。
そんな生活が1年近く続く中で学んだこと
復興という希望に向かって皆で助け合う事の大切さ、つながり
「ありがとう!」という言葉の温かさ
それからかな?
将来はボラティア活動をやりたい!って思ったのは・・・
神戸の街を象徴するルミナリエ
1995年より阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂の想いや街の復興・再生の願いを込めて開催される"光の彫刻"。
時には復興を喜び
時には悲しくも見える
オレは生きている
だからこそ、阪神淡路大震災で被災・復興経験を風化させる事無く、後世に語り続けたい!
この事実を!
最後に、この震災によりご不幸に見舞われた方々には深くご冥福をお祈り申し上げます。
by boo-boo-amachan
| 2014-01-17 20:56
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